歴史ナビゲーター・金谷俊一郎氏のワンポイントコラム

◆◇◆第10回


石原莞爾は、満州事変の首謀者で日中戦争勃発当時の参謀本部作戦部長でした。

石原莞爾の唱えた『世界最終戦論』について。
石原莞爾は、戦争は文明の発展とともに進化していくとし、次にきたるべき戦争は、航空機や大量破壊兵器による殲滅戦略により、
極めて短期間で決着がつくと考えました。

一方で、石原莞爾は、世界はヨーロッパ、ソビエト連邦、東亜、南北アメリカの4つの連合国家になっていくと考えました。
東亜とは日本の天皇を盟主とするアジア連合のことです。このうちヨーロッパは大国間の調整ができず、ソビエト連邦はスターリン一代限りで崩壊していくと予想します。そして、最終的に世界は、東の東亜連盟と西のアメリカ合衆国との決戦となり、その決戦、つまりは最終戦争に勝利した国こそが、世界の中心となって世界をまとめあげていくと考えました。

石原莞爾は、この最終戦は、東洋の王道と西洋の覇道のどちらが、今後の世界をまとめあげていく考えとなるかを決める戦争であるとも位置づけます。
葛が見たエジソンの覗き絵にもあるように、第一次世界大戦後のパリ講和会議で掲げられた、「すべての国家は独立すべきである」という民族自決の理想が、あくまでも西洋諸国内部のみでの論理であり、アジア、アフリカ諸国は蚊帳の外であったこと。
日本が世界に先駆けてパリ講和会議で出した「人種的差別撤廃提案」が、アメリカ・イギリスの反対で否決されたこと。
こういった西洋人のつくった壁を打ち壊していかなければ、東洋の明るい未来は生まれないのだという考えを、高千穂勲は葛に訴えたかったのかもしれません。

ところで、今回のタイトルにもなっている「東は東、西は西」という言葉は、イギリス人児童文学者ラドヤード・キップリングの言葉です。彼の代表作は、オオカミに育てられた主人公が成長していく物語『ジャングル・ブック』ですが、この作品は1989年にテレビ東京系でも放映されました。キップリングは41歳という若さでノーベル文学賞を受賞しますが、この文学賞の最年少受賞記録は現在も破られておりません。

最後に葵らが見ていた大連の夜景について。
大連大広場は大連の中心にあり、四方にメインストリートが延びていました。大広間にはガス灯が配置され、夜には青白い灯りが燈り、幻想的な夜景として有名でした。大連浪花町通りは、大連の目抜き通りで、通りにはランタンと呼ばれる提灯が鈴なりに点灯されました。
ランタンは当時の流行歌の歌詞にもよく織り込まれており、当時の夜景の美しさを象徴するものであったといえるでしょう。

スペシャルへ戻る